Friday 6 June 2014

Coffee shop named California

From Print 2012, Chapter 10

Cは事実と法則を追って、それを見出さなかった。そして或るとき突然の病いで逝った。言語学を愛した幾冊かの本を残して。最後の本の名は、言語学への開かれた扉、Janua Linguisticae Reserata。彼が言うように、扉は万人に開かれていた。ひたすら追うのであれば。

Cが生きていれば、今またAに問うかもしれない。おまえは今何をしているかと。If C live, he also may ask me, "What  are you researching now?" そしてAもまた同じように答えるだろう。And A also will answer him as same as ever.事実ではなく普遍を追っています、こりることなくと。I have pursued universals, never done facts, without repenting.  
生きていれば、あの急な階段をのぼって、天井の低いテーブルでまた話していただろうか、Cよ。Oh C, if you live, will we also talk on language at the table facing each other under the low ceiling of the shop, going up the steep stairs.
 転注をめぐる研究の国境を超えたつながりの中で、再発見された転注論の貴重な原稿を損傷させないために、発見者みずからが飛行機に乗って届けてくれたことなどを。だから途方にくれるようにまずしかった私はどれほど勇気づけられたか、Cよ。駅前の路地を入ってすぐ左の、掘っ立て小屋のようだったあの店の名まえはカリフォルニア。The name of the shop is California. ぼくらの決して悲惨ではなかった忘却の紀念に、今はそれを書き記そう。For the memory of our daily forgetful life, its never miserable though poor all over, I will write down our delight.

しかしAは、Cの怒るような忠告を心から謝して受け止めても、違った方向をとり続けた。事実は彼の対象ではなかった。人間の事象である以上、すべては一度事実として顕現する。そこになんらかの法則が現われるかもしれない。しかしAはその方向を望まなかった。彼が求めていたのは、そうした事実の世界ではなく、架空の世界だった。それはたぶんこの世界をほとんどなにも説明しない。役にも立たない。それが冒瀆でないなら芸術に近かった。

言語における内的構造は、Aの場合、集合論から図形を経て、幾何へと行き着いた。すなわち時間もまたひとつの意味である普遍的な言語を表現したものとしての図形を、明確に表記するただひとつの方法として、彼は今幾何を選び、そこにもう迷いはなかった。


Source: Tale / Print by LI Koh / 27 January 2012  

Reference:
Under the Dim Light / 1 August 2012

Tokyo in wintry evening

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